2007年 05月 14日
天才ってなんだ~空海さんリコメンド②~
さて、そんなこんなでニート7年を経て、
空海さんは中国へ留学することになります。 当時の中国は「唐」の時代。 楊貴妃との恋で有名な玄宗皇帝が 亡くなって100年近く経った後の唐です。 当時の唐はまさに国際都市でした。 唐代は今考えても、目がくらむように華やかな時代です。 唐帝国を建国した李氏は、 もとをただせば辺境の民族・鮮卑系の出身で、 漢民族のみによる支配と言った考えは起こさず 人種に関わらず、優れた人物を登用しました。 もちろん宗教による差別も無く、都・長安には、 ゾロアスター教、ネストリウス派キリスト教(景教)、 仏教(顕教)、密教、道教、マニ教…。 ありとあらゆる宗教、民族が共存していたと言います。 さて、そこに現れたのが、われらが天才・空海さんです。 空海さんは、その後皇帝から「五筆和尚」と言う敬称を授けられたほど、 長安文化人の中でも人気者になりました。 当時の文化人たちが、日本という辺境の地から来た 若い一僧侶をそこまで愛でたのは、その筆才と文才によるものでした。 当時、中国の価値観では美しい文章を書けること、 また書が美しいことがインテリの最も重要な要素でした。 そんな状況下、 異国の人が、自分たちでも驚くような美文を書いてみせる、 そして、書もうまい!なんて素晴らしい! てなかんじで大人気になったと言うわけです。 さてさて、話がちょっとずれました。 空海さんは、もともと密教を学ぶために長安にやってきたのでした。 当時、密教の法統を受け継いでいたのは、「恵果」さん。 恵果さんは、密教の二流派の法統を受け継ぐ、当時唯一の人物でした。 このときすでに健康を害していた恵果さん。 数多くいる弟子たちにその頭脳にあることを伝えはしたものの、 なかなか伝え切れず、法統を継がせるにいたらない、と考えていたようです。 そこに現れたのが空海さんです。 都中で評判にもなっていた空海さん、 恵果さんは会うなり、私の後を継ぐのはあなたしかいない! と言ったか言わなかったか、 とりあえず、二つの流派の秘儀を次々と授けました。 この二つの流派、細かい話は省きますが、 立ち上げた坊様が違うためかなり矛盾があったそうです。 それを二つ受け継いだとは言え、恵果さんの中でもまだ未整理でした。 それをそのまま伝えたと伝えられます。 そして、伝え終わった後、大胆にも 空海さんに法統を継がせると宣言したのでした。 周りの人は驚いたでしょうね~。 長年の弟子たちを差し置いて、わずか一年ほどの弟子に譲っちゃうと 宣言しちゃったわけですものね。 しかし、これに異を唱えるものは少なかったようです。 それだけ卓抜した力をそのわずかな時間で周囲も認めざる得なかったようなのです。 と言うわけで、無事、空海さんは密教の法統を受け継ぎました。 そして、ありとあらゆるお経、法具を携えて日本に帰国します。 ニートだった空海さんは、当時世界の中心だった唐の国で 密教の正統な継承者として見事に生まれ変わってしまったのです。 当時日本は偉大なる桓武天皇が崩御し、 平城天皇の御世に移ろうとするときでした。 (まだまだ続いちゃいます…)
by ichimorimube
| 2007-05-14 19:51
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