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スゴイつながり
前の日記では、現代の超人の話をしました。

すごいですよね~。ほんと。
つくづく自分は凡人だと思うわけですが。

さて、日本史上でも、超人はたくさんいます。
今までお話してきた空海さんや役行者さん、
上泉信綱さん、…だけではありません。

伝説の人たちはたくさんいます。


伝説と言えば、関東では「平将門」という人を
めっちゃ特別扱いしてます。
関東って言うか、江戸っ子と言うべきかな?
東京近辺以外の人に、平将門の話をしても
ぜんぜんぴんと来ないんじゃないかと思います。
…と言うことを聞いて私は驚いたんですけどね。

平将門は平安時代の人ですけど、
関東地方では相当な大物なんですよね。

(つづく)
# by ichimorimube | 2008-07-09 00:25
最近のスゴイ行者の話
さて、大昔の行者の話から、最近の話。

修験道というとほとんどの人が関係ないし、
なんだか時代がかったものだなあ、と思うかもしれないけど、
今も脈々と受け継がれているんですね。

たとえば、役の行者の業場で修験道のメッカ、
吉野・大峰山系は、いまだに女人禁制だし、
知り合いの行者は、行者をするために仕事を週四日やって、
それ以外のすべてを行に捧げている。
すごいですよねえ。スゴイ世界ですよ。

たとえば「塩沼 亮潤」さんという方。

この方は、「大峯千日回峰行」と言う
吉野修験の中でももっとも過酷な行を満行。
1300年の吉野修験史上、この行を成功させた人は
なんと二人しかいない(!!)そうですよ!

1300年間で二人しか成功してないってすごくないですか??

しかもこの方、現在39歳。
満行したときは若干29歳。
ちなみに、この行は11年かかって達成されていますから、
始めたのはなんと18歳からですよ!
スゴイ、マジでスゴイとしか言いようがない。

ところで、この行の中身ですが。

大峯山のふもとから、48キロメートルの山道を16時間で登り
一日のうちに帰ってくることを千日行います。
吉野では、登る期間は5月から9月の4か月間で120日と決められているそうで
そのため順調にいっても11年目かかると言う計算。

一日のスケジュールはこんな感じ。
23時に起床。滝で体を清め、
行者の参籠所(さんろうじょ)へ行き、小さなにぎりを2個。
0時半から山へ。大峯山頂の行者がいる宿坊に着くのが8時半ごろ、
おにぎりを食べ帰ってくるのが15時半ごろ。
帰ってきて、泥だらけの装束を洗い、
掃除をして日記をつけ就寝は19時ごろ。
それから4時間半ほどの睡眠。

ぐっは~。。
過酷過ぎる!!
明らかにカロリーも睡眠も足りなくないですか??

さらにさらに、
満行した後、千日回峰行とセットになっている「四無行(しむぎょう)」も行っています。
これは、9日間の断食・断水・不眠・不臥(ふが)。
まわりの人は、死臭がした(??!)と言っていたそうで。
とはいえ無事この四無行も達成されました。
さらにその後、八千枚の大護摩供にも挑戦し、これも見事に満行。
護摩供というのは、いわゆるお焚き上げです。
8千枚もの護摩を焚き上げるのは、ものすごく大変。
普通に焚き上げても護摩板が燃え上がる炎の火力で
睫毛や眉毛もこげてなくなってしまうほど。
それを8千枚ですから、これもまた超絶な修業です。


それにしても同世代にも
こんなスゴイ人がいるなんてなあ。
ふと自分を省みてため息をついてしまいます。

さらに現在も千日回峰行に挑んでいる同世代の人がいます。

星野圓道さんという天台宗のお坊さんです。
この人は、昨年末に【堂入り】(大峯山風に言うと四無行)を乗り越えたので、
今年最後の120日間を乗り越えれば、回峰行を満行されるとのこと。

現在33歳。
始めたのは22歳。
大学を卒業してすぐに行に入ったという計算ですね。ふうむ。


いやはや、スゴイです。
昔はすごかった、ではなく、
スゴイ人はどんな時代でもスゴイのです。
# by ichimorimube | 2008-06-28 00:58
修験道と山の話
さて、だいぶ間が開いてしまいましたが、
再び修験道の話。

吉野は大峰山から、修験道の始祖と崇敬される
役行者のお話をしました。

大峰山系には、
現在も彼を尊敬してやまない修験者たちが
今も修業を続けています。
1500年の時空を越えて、
彼は修験者たちのスーパーヒーローとして
生きつづけているわけですね。

もちろん、全国に修験道の聖地といわれる場所があります。

九州……英彦山、救菩提山、
四国……石槌山
関西……吉野、高野山、比叡山
日本海側……白山、大山
関東……富士山、日光
東北……出羽三山

ってなかんじ??

とはいえ、日本の山は、すべて聖地だともいえます。
ここに上げていなくとも、必ず神社・祠があり、
修験者たちが歩く道があると考えてもいいかもしれないです。

上に上げた山々にはそれぞれ開祖がいて、
今も敬われています。

西のスーパーヒーローが役の行者だとすれば、
東のスーパーヒーローは
出羽三山の開祖・能除(のうじょ)さんでしょうか。


能除さんは、役行者よりももっと前、
6世紀くらいの人と言われています。

能徐さんは別名「蜂子皇子」と言います。

「皇子」?

ハイ。ソウデス。王子様ですよ。

彼は、6世紀大和朝廷の大臣・蘇我馬子に
殺されてしまった悲劇の天皇・崇峻天皇の
息子さんだと言い伝えられています。

崇峻天皇はあの聖徳太子の叔父にあたるので、
蜂子皇子は、聖徳太子の従兄弟にあたるわけですね。
聖人の従兄弟もまた聖人だというわけです。

崇峻天皇が殺されてしまったとき、
蜂子皇子に逃げたほうがいい、
と勧めたのは聖徳太子だったと言います。

そうして、蜂子皇子は東北まで逃げました。
そして、東北修験の開祖とされるようになったそうです・・・。


とは言え、蜂子皇子=能除さん説は、
ここ数百年で作り出された伝説のようです。
実在の人物ではどうやらなかったようなのですが、
その真偽はどうであれ、東北にも古くから
修験道が盛んに行われていたと言うことはよくわかりますね。
# by ichimorimube | 2008-06-16 22:50