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国東半島は信仰の場所
そんな「原神道」、もう一つ要素があります。

それは「神仏習合」。

「神仏習合」は、輸入された宗教・仏教と
日本にもともとあった神道が混ざり合い、
神も仏も一緒に祀ったということ。

たとえば、何々山の神様は、阿弥陀如来の別のお姿だ、
つまり、仏さんが日本に現れる際、神様の形をとって出現したのだ、と考えます。
これを「本地垂迹」(ほんちすいじゃく)といいます。

こんな風にミクスチャーなかんじなので、
明治以前は神様も仏像も並べて祀っていました。
現在は、明治政府の「廃仏毀釈」政策により、
神様の社とお寺は分けて祀られていますね。

廃仏毀釈とは、外来の宗教・仏教を排除しようとして、
明治政府が行った宗教弾圧政策です。
このときに、仏像や仏塔が破壊されたり、捨てられたり、
海外に流出したりして大変な荒廃を招きました。


おっと、話がずれてしまいました。

九州の国東半島は、まさに神仏習合の一大聖地だったんですね。
国東半島には両子山という峻厳な山が中央にどんとそびえ、
その山を中心に、何十という寺院が営まれました。
六つの里にそれぞれ仏教文化が花開き栄えたため、
このあたりの文化を「六郷満山文化」とも呼びます。

国東半島のお寺さんは、そのほとんどが密教・天台宗。
天台宗というと最澄さんが平安時代に作った宗派です。
密教というのは呪術的な要素が強い仏教の一派。
山間に入って修行をするんですね。
この国東半島はそんな彼らにとって修行の場であり、
古い神様が守る聖地だったのです。

この古い神様は仏教的に「太郎天」と呼ばれ、
山岳修行者たちによってあつく信仰されました。
太郎天は、密教において大変重要な仏・不動明王(大日如来の化身)が
本地とされ、山岳修行者たちの守護神だったのです。
仏になるための修行をしながら、神の加護を求め神に祈る。
いまだと矛盾のあるような感じですけど、当時は自然な行為でした。

(つづく)
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by ichimorimube | 2008-03-23 23:02
仏教と神道の話
九州の仏教文化についての続き。

「仏教」と言ってしまってますが、
実際にはプリミティティブな自然崇拝から
発生している原神道との神仏習合なわけです。

「原神道」というのは。

現在「神道」と呼ばれるものは、
ある意味明治の頃に発明された概念といえます。
明治の時代、列強の脅威にさらされていた日本は文明開化を果たし、
天皇を頂点とした明治政府という新しいシステムに再編されました。

このとき、中央集権の新しい国家として生まれ変わるために
キリスト教のような求心力のある思想がどうしても必要でした。
そのため、天皇の系譜を核とした「神話」を打ち上げ、
日本は神国である、という設定を行ったんですね。
その神話を支えるために整えられたのが「神道」なわけです。
ですから、さも古代からあるような感じが印象としてありますけど、
実際には明治の頃、ある政治的目的でもって再編したのが「神道」といえるでしょう。
私はこれを「国家神道」、それ以前のものを「原神道」と呼んでいます。

「原神道」というのは、
精霊信仰であり、産土信仰であり、
仏教と混じりあいながら存在しているおおらかな
「祈りの気持ちの集合体」のようなものだったと考えてるんです。

(続く)
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by ichimorimube | 2008-03-12 23:55
古代からの話~九州の仏教文化
そんなわけで大分に行ってきました。

九州は、福岡県にしか行ったことがなかったので、
今回の大分県はかなり新鮮。

とは言え、大分県はとにかく行ってみたい場所だったのです。
理由はもういうまでもないですね。
仏像を観にいきたいからです。私も好きですね~(笑)。

さてさて、
仏像、というか、九州における仏教状況について
少しお話しておきたいと思います。

皆さんよくご存知のように、九州は大陸文化の玄関口です。
ですから、古来から外来文化がまず伝来する場所でした。

古代史の分野では『邪馬台国論争』という大命題があります。
女王卑弥呼の国「邪馬台国」はいったいどこにあったのか。
江戸時代から始まったこの論争、いまだ結論は出ていません。

しかし大きくは、九州にあったとする説と、
畿内(関西)にあったとする説があります。
#最近は畿内説のほうがちょっと元気かも?

九州でははっきりと比定地があるわけではありませんが、
大宰府、宇佐、などがあげられています。

ここで、結論の出ない邪馬台国論争を出した理由は、
少なくとも古代において、九州北部と、畿内に
拮抗するような文化圏が存在し得たということを
学者たちは言っているからなんですね。

それくらい、九州南部は最先端文化が渡来する場所でした。
当時、最先端文化とは「仏教」でした。

ですから現在の福岡県あたりから大分県にかけては、
一大仏教センターであり、つまり最先端文化の密集地でした。

(続く)
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by ichimorimube | 2008-03-02 01:33