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仏像を観る時の二つのポイント
そんなわけで、仏像シーズンです。
旅に出ましょう!


仏像を観にいくと聞くと、どこを思い浮かべますか?
京都と答える方が多いかもしれませんね。
でも、まず仏像を観るのに最適なのは「奈良」なんです。
実は、京都は戦で何度も燃えてるため、
市中には新しい仏像が多いので、
仏像好きにとっては、あまり食指が動かない場所なんです。
*注:新しい仏像→室町時代以降のは「新しい」と言います。

これから、仏像を観てみたいな~、という方には
だからこそ「奈良」をお勧めしたいのです。
何事も最初が肝心。
最高のものから観始めるのが一番いい修業だと、
かつてお世話になったとある仏師の先生もおっしゃってましたが、
本当にそのとおりと思います。
その最高のものが集中しているのが「奈良」なんです。


さて、仏像を観る旅に出る前に、ちょっとポイントというか、
参考にしていただきたいことがあるんですね。

じつは、仏像(仏教美術)にもピークや流行というものがあります。
特に優れたものが作られた時代があるんですが、それは、

①飛鳥時代~平安時代初期(6世紀~10世紀)
②鎌倉時代(12~13世紀)

の二つの時期です。


①は、日本仏教黎明期。

やはり物事が始まったときというのは、
荒々しくも生命力にあふれている、大らかなもの、
作り手の純粋な心が凝り固まって形を成したようなもの、
というものができるもんなんですね。
この時代のものはそれはもうすごいパワーを持っていて、
奇跡のような作品がたくさん誕生しています。

たとえば飛鳥寺の飛鳥大仏、
法隆寺の釈迦三尊像、救世観音像。中宮寺の弥勒菩薩像。
薬師寺の薬師三尊像、聖観音菩薩像。興福寺の阿修羅像……。

はっきり言ってもう挙げきれないほどの名作ぞろいですよ。

この現象は何も仏像に限ったことではないんです。
建築美術も、工芸美術も、石造美術も、すべてにおいて優れたものが多い。
どのジャンルをとっても、現在の名工たちが尊敬してやまない
奇跡のようなものがこの時代にはたくさん作られているのですね。
そんなわけでもし旅に出たら仏像だけじゃなく、
そういうものもぜひ楽しんでいただきたいと思います。

さて、もう一つの時代。②鎌倉時代です。

鎌倉時代というのは、第二創業期というか、
仏教が大きく変化した時代です。

それまで仏教の担い手だった貴族たちから、
新しく台頭してきた武士にその実権が移った時代。
新しい実質的支配者となった鎌倉幕府は、
盛んに中国(宋)と交易を行いました。
そのため、中国で流行していた新しい仏教「禅」も輸入されました。
「禅」は、最新文化という魅力ももちろんありましたが
それ以上に、リアリストで克己心の強い武士階級の感覚に
マッチしたんでしょうね。
新しい流派が多く誕生し、大いに栄え、
またそんな新仏教の誕生によって
旧仏教も刺激を受け大きく変化しました。

そんな時代背景の中登場したのが、「慶派」です。
運慶、快慶の流れを組む仏師の集団をそう呼ぶんですが、
この慶派も、そもそもは東大寺の再建に活躍した「奈良仏師」なんです。

彼らの作風は、簡単に言うと写実的で理知的・思索的です。
エッジが効いてるというか、
無駄を排除した突き詰められたデザインなんですね。

いかにも慶派らしいと思うのは、
興福寺の「無著菩薩像、世親菩薩像」です。
とにかく写実的で、まるで人がそこに立っているようですが、
同時にとても思索的で、見ているだけで、
何か大切なことを教えていただいているような気持ちにさせられます。
http://www.kohfukuji.com/cgi-bin/kohfukuji/dispdata.cgi?id=but00040
#これは秘仏なので、普段見られませんが、
この時期はもちろん公開しますよ!


このように、まずこの二つの時代のものを中心に
仏像を観てみてください。
アートやデザインに少しでも興味があれば、
間違いなくそのすごさをわかっていただけると思います。

そしてこの中から好きな仏像はなにかな~と
感じていただくのが一番です。

写真:右・無著菩薩像、左・金剛力士像。ともに慶派@興福寺です。
(興福寺展図録から転載しました)
c0116774_16394481.jpgc0116774_1640132.jpg
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by ichimorimube | 2007-09-27 12:52
やってきました。仏像シーズン!
9月も後半ですね。

いよいよ来ましたよ。仏像シーズンがあ!

ご存じない方も多いかもしれませんが、
仏像を観るにも「シーズン」というのがございます。

それは、4月中旬から5月上旬と、9月末から11月中旬のあたりです。
言ったら、春と秋ですね。

でも、暖かくなってとか涼しくなったから観やすいとか
そういうことじゃないですよ。

このシーズンは「秘仏ご開帳」という、
仏像好きにはたまらないイベントが各寺院こぞって行われるんです。


あ、すみません。前置きなさすぎですね。
実はですね。私の、もっとも長く続けている趣味が「仏像鑑賞」なんです。
親の証言によると幼稚園に行ってるくらいから仏像が好きだったらしいです。
なのでもう30年くらい仏像を見続けているわけです。
うわあ、すごい!

そんな私にとってこの季節は、
もううずうずして落ち着きなくなる季節なわけです。

ところでこの秘仏というのをちょっと説明しますと、
その名のとおり、秘されている仏像という意味です。
そのお寺で特別に大切にしているため(痛むのを恐れて)公開しなかったり、
いろいろ由来があって、めったに見せることができないものだったり、
そういう仏像を秘仏と言います。

たとえば、法隆寺の救世観音さんという秘仏があります。
この秘仏は、「絶対秘仏」とされ、
造られてすぐに麻の包帯でぐるぐる巻きにされ、
およそ1400年間、お寺のお坊様も見たことがありませんでしたが、
明治時代、フェノロサと岡倉天心によって、
無理くり包帯を取り去られてしまい、初めて日の元にさらされました。
#そのとき、お坊様たちは祟りがおこる!と叫び、
全員その場から逃げ去ったといううわさがあります。

それ以来、年に二回、一般にも公開(これをご開帳と言います)
されるようになりました。
こんな風に、近代になってから限定つきでご開帳されるものも増えましたが、
まだまだ伝統を守っているお寺さんも多くあります。

たとえば、浅草寺のご本尊は、観音さんですが、絶対秘仏とされています。
推古天皇の時代(628年)に、隅田川で網にかかったという聖観音さんですが、
645年に秘仏にされてしまったので、それ以降誰も見たことがないことになってます。
約5・5センチの金の像だと言い伝えられていますが、誰も見たことがないので、
ほんとはどんな像だかよくわからないんですね。
これも1355年もの間、誰も見てないわけですね。凄まじい秘仏っぷりです。

ここまで凄まじいものは今は少ないですけど、
それでも33年に一回のご開帳、なんてのはざらにあります。
#ちなみに33年に一度というのは観世音菩薩さんです。
 ということになってます。


こんな風に、秘仏というのは、
いろんな背景があったりしてとっても面白いんですよ。

しかも、期間限定ってのが、また!
ねえ。いいでしょう!

次回は、この季節の
ステキな仏像鑑賞の旅について、お話しますね。

・・・・というわけで、呼吸をするように語ることができる仏像ネタで、
しばらく展開したいと思います。よろしくお願いします。
(続く)
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by ichimorimube | 2007-09-20 00:56
私のアイドル・上泉信綱さんの話
というわけで、新陰流流祖・上泉伊勢守秀(信)綱さんのお話。

信綱さんは、上州(群馬県)「大胡」というところの城主でした。
本姓は藤原氏、平将門討伐や大ムカデ退治で高名な
俵藤太秀郷(たわらのとうだひでさと)の子孫。
平安時代から連なる誇り高き武家の家柄です。

彼が生まれた時代(1508年~)は、戦国時代真っ只中。
特に彼が城主となったころ、それまでの権威だった室町幕府は
最後の叫び声をあげているような情勢でした。

代々関東管領上杉氏に仕えていた信綱さんでしたが、
38歳のとき北条氏康に上杉憲政が敗れてしまい、
その後は、上杉憲正に名前を譲られた長尾影虎(後の上杉謙信)の武将、
長野氏に仕えます。

それにしても戦国時代って大変!
歴史上の有名人がこんなにわらわらいるだなんて、
すごい話だと思いませんか?

ちょっと調べたら、この人たちみんな同じ時代に生きてます。↓
1515年生まれ 北条氏康
1521年生まれ 武田信玄
1530年生まれ 長尾(上杉)謙信
1534年生まれ 織田信長

関東は、この北条氏、武田氏、上杉氏の三つ巴状態。
その荒波の中、血筋は悪くないけど、
小領地の一城主に過ぎなかった信綱さんはとてもよく働きました。

でも、長野氏は当主がなくなるとまもなく、武田信玄に攻められ、
滅亡してしまいます。

最後の城の引渡しを行ったのが信綱さんでした。
信綱さんは剣術では剣聖と言われ、
武将としても戦術家で、また清廉潔白な人物として
すでに高名だったので、信玄にリクルートされたらしいのですが、
引退することを決意、今後武田家以外には仕えないと誓紙を書き、
剣術家としての第二の人生を歩みだします。59歳。

実は、城主として落ち着く前(20代前半まで)は、
剣術修行で諸国を漫遊していました。

鎌倉で念流(流派としては最古)を、
香取では天真正伝香取神道流を、
鹿島では鹿島神流を、
また、愛洲移香斉の息子・元香斉から陰流を学びました。
#城主になってからも時間を見つけては旅に出て
さまざまな剣術家から教えを受けていたようですけども。


詳しく説明すると大変なので、簡単に説明すると、
武芸の本場・関東(坂東)における剣術の、
名流ど真中をほとんど勉強したんだな~、ってかんじですね。
んで、最後のほうに陰流を学んで仕上げ。
それらに独自の工夫を加えて一流派を起こしました。
それが「新陰流」です。
言ってみれば、室町中期から興った日本の文化・「剣術」の
集大成がこの新陰流といえるかもしれません。

この新陰流は、その後、
大和の国の小豪族だった柳生石舟斉に受け継がれ、
「柳生新陰流」として現代まで伝わっています。


柳生新陰流は、将軍家、尾張徳川家の剣術師範をつとめる名流として
現在に伝わる流派ですが、
なるほど、それだけのバックグラウンドのある流派だなあと思うわけです。

剣術史上、最大流派といわれているのが
念流、天真正伝香取神道流、陰流の三流派です。
これらをすべて学び、作り出したのが新陰流なわけですからね。
正しい。まさしく正しいのです!


なーんて前置き長くて理屈っぽいですけどね。
信綱さんに私があこがれてしまう理由は単純。

池波正太郎さん著「剣の天地」は、信綱さんが主役なんですけどね。
それがメッチャかっこいいんですわ。
未読の方はぜひ読んでみてください。男のロマン好きにはたまらん一冊です。
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by ichimorimube | 2007-09-13 19:13
ラブ!格闘技~というか古武術
相撲、といえば古武術ですよね。

古武術に触れないのは、私的にはありえないので。
今回は古武術について書いちゃおうかな~。


日本の相撲については、
最古の記録は日本書紀・11代垂仁天皇の御世(紀元前60年くらい?)、
大和国出身・當麻蹴速(たいまのけはや)と、
出雲国出身・野見宿禰(のみのすくね)
の戦いで、この戦いに勝利した蹴速は、
相撲の始祖とされています。

垂仁天皇、って言うと実在しているのかどうか、
ちょっとあやしいですけど、一応日本書紀は公式記録、
ってことになってますので、まあありとしましょうね。

こう考えると、相撲は日本の古武術の中でも
もっとも長い歴史を誇るといっていいでしょう。
一般的に、相撲は農耕民族が農業の神へ捧げる「神事」として
行われていたと考えられます。
そういう意味では正しく「芸能」の一つであるわけです。

サテ一方、相撲以外の古武術で最古の記録はいつくらいかと言うと、

それは関東の最古社、鹿島神宮に伝わる「鹿島の太刀」と
呼ばれる奥義を宮司だった国摩真人(くになずのまひと)が
これに工夫を凝らし、「神妙剣」を創案したとされるそうですが、
この人が生きていた時代は大化の改新ごろだそうなので、
7世紀ぐらいの話ですか。
どうも、鹿島神宮やすぐ近くにある香取神宮と言うところは、
当時東北侵略の前哨地だったようで、
防人の訓練などで武術が発達していたと見えます。

この鹿島の武術が、日本中の武術の大元になっているとされています。

#余談ですが、鹿島神宮は中臣氏で、あの藤原氏と同族です。
奈良の東大寺のお隣にある、藤原氏の氏社・春日大社は、
この鹿島神宮を分霊したものと言われています。
平安時代「神宮」と呼ばれることが許されたのは「伊勢大神宮」と、
鹿島神宮、香取神宮のわずか三社だったことを考えると、
大和から遠く離れているにもかかわらず
不思議なほど重要視されていたことに気づきます。
面白いですねえ。


この鹿島の太刀は、香取神道流や鹿島神道流(成立・室町時代)
などに受け継がれ、現代にその妙技を伝えています。

すごいですね、今もちゃんと伝わってるんですよ。
オソルベシ!

さて、この流派流れで考えますと絶対はずせないのが
剣聖・「上泉伊勢守信綱(こういずみいせのかみのぶつな)」でしょう!
*秀綱とも言います。

私の憧れの武術家ですよ~。うふ~。

池波正太郎さんの小説なんかでもあまりにも有名。
判りやすく言うと、新陰流の始祖であり、
柳生新陰流の流祖・柳生石舟齋宗厳
(やぎゅうせきしゅうさいむねよし)の師匠です。
ああ、かっちょいい。

(続く)
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by ichimorimube | 2007-09-06 01:44