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あけましておめでとうございます!
2011年ですね。
今年もよろしくお願いします!

前回も文章途中だし。
今年こそもうちょっと真面目に
更新してかないとなあと気分も新たに。

さて、現在は日本に帰ってきて、実家のある埼玉にいます。
バンコクは30度以上ありましたが、今年の日本は寒い!
ものすごく冷え込んでますよね。

でもこの冷え切った空気がなんかいい感じ。

四季がある国というのはいいですねやっぱ。
タイ人もみんな雪が見たい!といいますし、
寒い季節には寒い季節なりの楽しさがあります。

お正月といえば初詣ですね。

寒い中ちょっと並んだりして。、
並んでる間についつい甘酒を飲んだり、
焼きそば食べたりして、ね。
そういうのも寒いのが余計においしさを
盛り上げてくれてる感じですね。

私も実家の近くにある「箭弓稲荷神社」というところに
初もうでに行ってきました。

例年だと、自宅近くにある神楽坂の氏社赤城神社と、
善国寺こと毘沙門さんにお参りするのが
ここ10年の習わしでしたが神楽坂の家は
引き払ってしまいましたし、故郷の古い神社である
箭弓神社に家族で行ってみました。

箭弓稲荷神社は創建が8世紀。
田舎の神社ですが由緒のある神社です。
「やきゅう」と言う音なので、
最近では野球選手の信仰が厚いとか。
駄洒落ですけど、まあ気持ちはわかるかな。

私は、その土地の産土神と思しき神社をお参りするのがとても好きです。
というか、その土地に訪れたからには
その土地の神様にご挨拶したいな、という気持ちですね。
今回は自分の故郷の産土神にご挨拶できた気がして
何やら清々しい気持ちです。
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by ichimorimube | 2011-01-03 00:26
キンキラキラなお釈迦さま
タイの仏像、というと「金色の仏像」というイメージがありませんか?

この金色の肌、別にゴージャスにしたいからこの金箔を
貼っているのではなく、とある経典に、仏の姿とはこんな姿ですよ、
というルールが書かれていて、「肌は金色に輝く」とあるからなんです。

日本の仏像ももちろん本来は、みんな金色の肌で表現されていますが、
長い年月を経て、金がはげてしまって、木地が現れてしまってます。
日本人の感性だと、この木目が見えるような感じのほうがしっくりくるんでしょうか。
修復をしても金箔を貼りなおす、なんてことはあまりしないですね。

だけど、タイなどでは、信者が多い仏像ほど、
金箔が次から次へと貼りなおされて、金ぴかぴかです。
金色の仏さんが「仏像」なので、
何の疑問もなくそうしてるんじゃないかな、と思います。
そして、本来的にはそのほうが正しい、と。

そして、このことはいかにも
大元を大切にする上座部仏教の国だな、と思ったりします。

上座部仏教は、とにかく戒律を重んじます。それに対して、

「自分で戒律を守って、自分だけが解脱すればいい、
 っていうのはなんか違うんじゃない?」
「苦しんでいる世の中の人を救おうとしないのはどうなの?」

と考えた改革派が登場しました。
彼らは自分たちで「大乗仏教」と呼び、
戒律を重んじる保守派を批判し「小乗仏教」とよんで、批判しました。
そして分裂したのが、紀元前3世紀ぐらい。

そんな風に成立した大乗仏教は、伝播するたびに、
その土地の宗教と習合したり、その国の仏教学者が経典を
新たに作ってみたり、解説を加えてみたり、
といろいろなものを内包しながら、ある意味、
本来仏陀が唱えたもの以外のものも
たくさん入って、大きく成長していきました。

なので、いろんな仏さまを信仰していますね。

宗祖は、もちろんお釈迦さま(釈迦如来)ですが、
お釈迦様以外に、阿弥陀如来、大日如来、
薬師如来がご本尊のお寺はたくさんありますし、観音さまや
文殊さま、お不動さまをご本尊にしているお寺もたくさんあります。
これが日本においての仏教ですが、これは大乗仏教ならではの現象で、
上座部仏教では、こういうことはないんだそうです。
上座部は、原始教団がしていたことをそのまま忠実に守ろうとしています。
ご本尊は必ず宗祖である釈迦如来像。
冥想する姿か、亡くなるときの姿(涅槃)で表現されます。

(続く)
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by ichimorimube | 2010-04-04 01:29
外国から見てみよう。にほんのぶんか
ものすごくお久しぶりです~。
なんと一年ぶりですよ。ひどいなあ。

この一年、あまりにも忙しくなってしまって、
結構ちゃんと書きたいという気持ちが空回りして
このブログから足が遠のいていたのでした。

にほんのぶんかというのは、私にとってとても大切なテーマなので、
また書きはじめたいと思います。

実は、3年間勤めた会社を今月で辞めます。
なので、自由な時間はたくさんあるわけです!

てな感じで再びよろしくお願いします。

***

思えば、このブログをはじめたのも、3年前。
前の会社を辞め、自由な身になって、
きちんと何か書き留めたいと思って始めたのがこのブログでした。

また同じような状況がめぐってきたのです。
しかも今後は、海外に身をおきながらこのブログを書いていくことになりそう。
そんなわけで外側から、またはにほんのぶんかとの比較から
いろいろ考えていきたいと思います。

私がとても気になるテーマのひとつに「宗教」があります。

その中でも特に興味があるのは、日本の原神道と、仏教でした。

明治の廃仏毀釈令によって、神道は国家神道として位置づけられ、
仏教は蕃教として分離、土地によっては迫害されました。
でも、この二つは日本人の魂のよりどころとして、
分かちがたいほど習合(シンクレティズム)していました。

それを政治的に強引に分けてしまったのですが、
どちらがどうともわからないほど溶け合っていたのが本来の日本の形でした。

このシンクレティズムは、どの土地でもよくあることですね。
たとえば。もともとその土地にあったアニミズム的な宗教と、
宣教師が布教して入ってきたキリスト教が、一部溶け合って、
その土地にしかいない聖人を生み出すというのもシンクレティズムの典型です。

アジアだったら、たとえばチベット仏教は後期密教と、
チベット土着の宗教・モン教が由来の独自のお祭りがあったりします。
これも習合ですね。

このあたりは、以前、『マヤ文明 聖なる時間の書』という本を編集したとき
改めて注目した面白いファクターなのですが、
今後も注目していきたいと思っています。

まず、注目していくのは、タイ。

タイには南伝仏教、もしくは上座部仏教と呼ばれる仏教が伝来しています。
日本に伝播した北伝仏教(大乗仏教)とはちょっと地がこの南伝仏教。
これについてちょっと調べて生きたいと思います。

(続く)
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by ichimorimube | 2010-03-25 00:23
阿修羅展から天平の天才の話①
どーもどーも!
心を入れ替えて毎日のように更新!

阿修羅展行ってきましたよー。

東博での仏像関連の展覧会はここのところヒット続きですが
今回の阿修羅展も、昨年の薬師寺展を上回る初動だそうです。
史上初の100万人動員成るか!?

関係者の方々は鼻息が荒いですが、
まあ、それはわれわれ一般人には関係ないことですね。

昨年は博物館に3回行って3回ともスゴイ行列だったので断念。(並ぶの大きらい)
今年もそうなってしまうかと思いましたが、夕方に行ったのが功を奏したのか、
10分待ちですんなり入れました。ほ~。

さてさて、この阿修羅さんですが。
どういう方かと申しますと。

阿修羅王は、もともとペルシャのほうの神の一族でした。
ペルシャのほうでは最高神でしたが、
インド神話では暴れん坊な悪神とされ、
インド神話の最高神の一人であるインドラと闘い続けたとされています。
#余談ですが「阿修羅」というのは部族の名前みたいなもんで、
一人の人格をさすわけではないので、「阿修羅王」としたほうがフィットするかな?
シャカ族の王子であったゴーダマ・シッダールタがお釈迦様と呼ばれるのに似ているかも

そんなわけで、本来阿修羅さんというのは、強力な武神なんですね。

なので、阿修羅展の主役の「阿修羅」像はとっても変わった表現なのです。

まるで少年のような、少女のような幼い容貌と細いからだ。
思いつめたような視線。
筋肉モリモリでもなく、何の武器も持たず。
そして3対あるうちの一対の手は合掌しています。

切実な願い・祈りがあるような、そんな感じに見えます。

私はこの像を見るたびに、モデルがいたんじゃないかな、と思うんですよ。
それも仏教的な、思想的な云々なんて難しいことじゃなくて
もっと心のこもった間柄というか。そんなモデルが。

この像を作った人は将軍万福という仏師。
彼は、阿修羅像はじめ、興福寺の仏像の制作を指揮した天才仏師。
彼が活躍した時代は「天平の時代」という、華やかな芸術文化が花開いていた時代でした。
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by ichimorimube | 2009-05-02 15:23
聖武天皇の願い
昨年の12月に再開宣言したのに、気がついたら春・・・

やばひ・・・

構えずに、日記代わりに書いていくことにします。

さて、今日は奈良国立博物館の西山先生が
日本橋にある奈良県のまほろば館で講演会をされるというので
いってきました。

西山先生は、こないだ担当した『仏像の本』の監修をしていただいて以来、
懇意にしていただいている大好きな先生。
来年出版する本を担当させていただく予定なのです。

それにしても先生の講演はいつも面白い!

先生は、仏教の経典や歴史の専門家なんだけど、
その語り口はいわゆる『研究者』ではなくエンターテイナー。

たとえば、先生が東大寺の話をしだすと、
そこにまるで生きている人がいるように動き出します。
たとえばこんな風。


東大寺を作った聖武天皇の、
苦悩の果てに到達した結論としての東大寺・国分寺建立。
聖武天皇はなぜあんなに大きな仏像を造ったのか??

そこには聖武天皇の切なる願いがあったのです。

当時、日本中がメチャクチャでした。
旱魃による飢餓、天然痘の流行、さらに地震。
当時天皇には強力な力があると信じられており、
世が乱れるのはその天皇の徳が足りないからだと考えられていました。

まじめな聖武天皇は、それを心から信じ、
自分の行いが至らないから世が乱れるのだ、と苦悩していたといいます。
さらに追い討ちをかけるように、やっと生まれた息子さんも一歳になる前に病死。

聖武天皇は、そこで大仏を建立することを決意します。
仏像を造ることを宣言した文章の中に次のような言葉があるそうです。

「すべての動物、すべての植物がともに栄える世の中を造りたい」

人間だけではないんですよ。ほかの動物も、さらには植物も、
生きとし生けるものすべてが栄える世の中を彼は理想郷としたのでした。
こういう理想を持った王様がいるなんてほんと嬉しいですよね。

理想は理想、現実とは違う。

そう言う人もいるかもしれません。
でも、それを痛いほど分かっていたのは聖武天皇自身だったでしょう。
でも彼は願わずに入られなかったのです。
みんなが幸せな世界を。

そして、そんな願いをこめた仏像を造るなら、
みんなで力を合わせて作りたい。
お金持ちだけで作るのではなく、貧しい人、子供も。みんなです。

聖武天皇は、庶民のために尽くして民衆に人気の高かった行基さん
というお坊さんに協力を要請します。

「一本の草を持って来た人にも、土を握ってやってきた人にも
手伝ってもらおう」

それが役に立つかどうかが重要ではないのです。
大切なのはその人の「心」。

そんな天皇の願いはかなえられました。
大仏は無事完成したのです。

そういう話を聞くと、あの大きな大仏殿が
そんな願いの結晶だということが感じられますよね。
そう思うと、本当に感動してしまいます。

先生の話だと、1200年前の人が
まるでそこにいるかのように感じられるんですよね。
アア、歴史上のそんなに偉い人でも、私と同じ人間だったんだなあって。

先生の本は、読者がそんな風に感じてもらえる本にしたいですね。
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by ichimorimube | 2009-04-29 21:10
ぼちぼちですが、再開します!
見てくださってる方はほとんどいないかな~、と思いますが、
ゆるゆる、日記代りに再開したいと思います。

プライベートな雑感などつづっていきます。
力抜いてやっていこう!>わたし!


さて、にほんのぶんかということで、
なんだってお話すれば日本の文化になっちゃうんですよね。
なんだって日本の文化ですもんね。

というわけで、最近私は「仏像の本」というのを編集しました。

著者は仏像ガールさんという若くてほがらかでステキな女性!
昨年彼女と出会い、一緒に本を作り始めまして、
10月にようやく刊行できたのですが、編集しておいてなんですが、
とってもステキな本です。

彼女とはまるで姉妹のように、心から親しくさせてもらって、
理想的な信頼関係を築くことが出来たと思います。
これは本当に編集者冥利に尽きる、と言うやつです。
こういう信頼関係を結べると言うのがこの仕事の醍醐味ですね。
困難なことも多いですが、なかなかやめられなくなっちゃう。

彼女の素晴らしいところは、とにかくその笑顔です。
中学生の頃大好きなお父様がなくなったり、
いじめにあったり、と非常に困難な十代を過ごした人です。
その大変な出来事を乗り越えた先にあらわれ出た笑顔です。
その笑顔はまだ29歳とは思えないような深い優しさをたたえているのですね。

その笑顔と優しい気持ちに出会った人たちはみな癒されて
彼女のことを大好きになってしまうんです。

私もその一人でしょう。

おかげさまで、売り上げもなかなか好調です。

一人でも多くの方に仏像ガールの優しい気持ちや、
仏像ガールが伝えたいと思っている仏像の素晴らしさ
が伝わるといいなあ、と願っています。
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by ichimorimube | 2008-12-25 00:29
突然ですが。ありがとうございました!!
おはようございます。
8月になってしまいましたね。

突然のお知らせで、恐縮ですが、
7月いっぱいで、本ブログ連載を終了することにしました。

本当はもっと続けていきたいのですが、
仕事があまりにも忙しいこともあり、
なかなか思うような更新も出来ないので、
ここで一区切りしたいと思います。

今まで読んでくださった皆様、
sin編集長はじめ編集部の皆様、
今までお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。

またどこかでこのブログを再開できたらいいなあと思っています。

そのときにはぜひまたお付き合いのほどを。

それでは皆さんお元気で!!


イチモリムベ 拝
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by ichimorimube | 2008-08-01 08:38
夏だけに、まことしやかな話
将門公といえば、もうひとつ有名なのは、
大手町にある首塚の話ですよね。

将門公は、結局朝廷に対する反逆罪ということで、
京都で処刑されました。
それは、とてもフェアとはいえない処刑だったようで、
将門公は「怨霊になった」と世間では思われたわけです。

怨霊と言うのは、本人がなりたくてなった、と言うよりも、
死後に、死者の気持ちを推し量ろうとした庶民や、
後ろめたいことを感じた人が作り出すものですね。

これは以前お話ししたことがありますが、
日本ならではの御霊信仰ってやつです。
菅原道真公、早良親王、なんていうのも、
誰かに貶められ、おそらく冤罪でもって
処刑されてしまった人たちですが、
彼らは強力な怨霊となって、朝廷を脅かし、
それを恐れた為政者によって、
神様として祀られることになりました。

さて、将門公もそんな御霊の一人ですね。

その強力さは現代も健在で、
その首塚は、いまだに手がつけられない聖域になっています。

大手町、と言うのは大蔵省のあるあたり、東京の一等地ですね。
関東大震災の後、首塚は崩壊してしまったので、
ほかの場所に移してしまい、ここに大蔵省を建てようとしたんですね。
ところが、事故は起こるは関係者が次々死んでしまうわで、
政府内にも動揺が広がり、工事を中断し、改めて供養塔を建てたんだそうです。

さらに、太平洋戦争後。
GHQがここを接収して、区画整理をしようとしましたが、
やはり事故が多発して、結局あきらめ保全することになった、とか。

まるで、エジプトのツタンカーメン王の呪いのような話ですが、
今も政府が手を出さない、と言うのはものすごい説得力ありますよね。
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by ichimorimube | 2008-07-30 00:34
関東のヒーロー・平将門公
と言うことで、平将門公です。

たいらのまさかど。10世紀(平安時代中期)の武将。

その名の通り彼は平家の出身ですから、
もともと血統をたどれば父方は天皇家の出身です。

平安京を作った桓武天皇の孫、高望王(たかもちおう)が、
「平」姓を賜り、皇族から臣下に下りました。
この高望王は、上総の国の国司に任ぜられ、
関東に下り、そのまま土着しました。

平将門はこの高望王の孫にあたります。
そんなわけで、天皇から数えて将門公は5世の皇族ともいえます。

さて。

将門公がどうして
特別あつかいされるかというと、
彼が、「新皇」を自称したからです。

彼は、自分の領土をめぐって、
伯父や一族と骨肉の戦いを繰り広げ、
これに勝利します。
そして関東一帯を手中に収め、
自分は「新皇」であると宣言しました。

今聞くと、へえ~。ってくらいな話ですけど、
歴史上でもこんなことをやった人はほとんどいません。
#…というより、記録しなかったのかもしれない。
では、なぜ将門公だけは記録したのか、そこは気になりますが…。


ところで、こんな将門公が江戸っ子に愛されている理由ですが、
一番は、彼が江戸の総鎮守・神田明神に祀られているからでしょう。

神田明神は、主神はオオナムチノミコト(大国主の命)、
つまりもともと出雲系の神社でしたが、
14世紀に将門公の怨霊を沈める目的で合祀されました。
さらに江戸時代になってから、江戸に幕府を開くことを決めた
徳川家康公が、江戸の鬼門に当たる場所に神田明神を移しました。
#怨霊を持って守りとすることは、宮城を作る上ではよくやられる手法ですね。

そして、もともと武士の崇敬を集めていた神田明神は、
徳川幕府でもオフィシャルに崇敬されることになり、
その人気は決定的になったと言うわけですね。

また心情的なこともありますね。
関東の庶民は、
若く死んだ武に勝る人物を愛する風潮があります。
義に篤く、利に疎い、薄幸の貴人。
そういう設定が大好きなのです。

そんなわけで、平将門は関東のヒーローになったのでした。

(続く)
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by ichimorimube | 2008-07-20 01:15
スゴイつながり
前の日記では、現代の超人の話をしました。

すごいですよね~。ほんと。
つくづく自分は凡人だと思うわけですが。

さて、日本史上でも、超人はたくさんいます。
今までお話してきた空海さんや役行者さん、
上泉信綱さん、…だけではありません。

伝説の人たちはたくさんいます。


伝説と言えば、関東では「平将門」という人を
めっちゃ特別扱いしてます。
関東って言うか、江戸っ子と言うべきかな?
東京近辺以外の人に、平将門の話をしても
ぜんぜんぴんと来ないんじゃないかと思います。
…と言うことを聞いて私は驚いたんですけどね。

平将門は平安時代の人ですけど、
関東地方では相当な大物なんですよね。

(つづく)
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by ichimorimube | 2008-07-09 00:25