2008年 07月 20日
関東のヒーロー・平将門公
と言うことで、平将門公です。
たいらのまさかど。10世紀(平安時代中期)の武将。 その名の通り彼は平家の出身ですから、 もともと血統をたどれば父方は天皇家の出身です。 平安京を作った桓武天皇の孫、高望王(たかもちおう)が、 「平」姓を賜り、皇族から臣下に下りました。 この高望王は、上総の国の国司に任ぜられ、 関東に下り、そのまま土着しました。 平将門はこの高望王の孫にあたります。 そんなわけで、天皇から数えて将門公は5世の皇族ともいえます。 さて。 将門公がどうして 特別あつかいされるかというと、 彼が、「新皇」を自称したからです。 彼は、自分の領土をめぐって、 伯父や一族と骨肉の戦いを繰り広げ、 これに勝利します。 そして関東一帯を手中に収め、 自分は「新皇」であると宣言しました。 今聞くと、へえ~。ってくらいな話ですけど、 歴史上でもこんなことをやった人はほとんどいません。 #…というより、記録しなかったのかもしれない。 では、なぜ将門公だけは記録したのか、そこは気になりますが…。 ところで、こんな将門公が江戸っ子に愛されている理由ですが、 一番は、彼が江戸の総鎮守・神田明神に祀られているからでしょう。 神田明神は、主神はオオナムチノミコト(大国主の命)、 つまりもともと出雲系の神社でしたが、 14世紀に将門公の怨霊を沈める目的で合祀されました。 さらに江戸時代になってから、江戸に幕府を開くことを決めた 徳川家康公が、江戸の鬼門に当たる場所に神田明神を移しました。 #怨霊を持って守りとすることは、宮城を作る上ではよくやられる手法ですね。 そして、もともと武士の崇敬を集めていた神田明神は、 徳川幕府でもオフィシャルに崇敬されることになり、 その人気は決定的になったと言うわけですね。 また心情的なこともありますね。 関東の庶民は、 若く死んだ武に勝る人物を愛する風潮があります。 義に篤く、利に疎い、薄幸の貴人。 そういう設定が大好きなのです。 そんなわけで、平将門は関東のヒーローになったのでした。 (続く)
by ichimorimube
| 2008-07-20 01:15
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