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関東のヒーロー・平将門公
と言うことで、平将門公です。

たいらのまさかど。10世紀(平安時代中期)の武将。

その名の通り彼は平家の出身ですから、
もともと血統をたどれば父方は天皇家の出身です。

平安京を作った桓武天皇の孫、高望王(たかもちおう)が、
「平」姓を賜り、皇族から臣下に下りました。
この高望王は、上総の国の国司に任ぜられ、
関東に下り、そのまま土着しました。

平将門はこの高望王の孫にあたります。
そんなわけで、天皇から数えて将門公は5世の皇族ともいえます。

さて。

将門公がどうして
特別あつかいされるかというと、
彼が、「新皇」を自称したからです。

彼は、自分の領土をめぐって、
伯父や一族と骨肉の戦いを繰り広げ、
これに勝利します。
そして関東一帯を手中に収め、
自分は「新皇」であると宣言しました。

今聞くと、へえ~。ってくらいな話ですけど、
歴史上でもこんなことをやった人はほとんどいません。
#…というより、記録しなかったのかもしれない。
では、なぜ将門公だけは記録したのか、そこは気になりますが…。


ところで、こんな将門公が江戸っ子に愛されている理由ですが、
一番は、彼が江戸の総鎮守・神田明神に祀られているからでしょう。

神田明神は、主神はオオナムチノミコト(大国主の命)、
つまりもともと出雲系の神社でしたが、
14世紀に将門公の怨霊を沈める目的で合祀されました。
さらに江戸時代になってから、江戸に幕府を開くことを決めた
徳川家康公が、江戸の鬼門に当たる場所に神田明神を移しました。
#怨霊を持って守りとすることは、宮城を作る上ではよくやられる手法ですね。

そして、もともと武士の崇敬を集めていた神田明神は、
徳川幕府でもオフィシャルに崇敬されることになり、
その人気は決定的になったと言うわけですね。

また心情的なこともありますね。
関東の庶民は、
若く死んだ武に勝る人物を愛する風潮があります。
義に篤く、利に疎い、薄幸の貴人。
そういう設定が大好きなのです。

そんなわけで、平将門は関東のヒーローになったのでした。

(続く)
by ichimorimube | 2008-07-20 01:15