2007年 12月 23日
幸せの話~江戸とエコ:その四
緑化といえば、江戸時代、
政府はかなり計画的に緑地を設けるなど行いました。 大火の後は、その経験を活かし、 火除けのために、緑地を設けましたし、 暴れん坊将軍こと、第八代将軍徳川吉宗は 市民のために公園をたくさん設けました。 公園は春夏秋冬を楽しむための行楽地でもあり、 火除けであり、ほこり除けでもありました。 現代的な見地で行けば、都市の気温安定にもなるし、 酸素の供給にもなりますね。 その四:下水道のいらないシステム 下水道がいらないとは!?? ってかんじですよね。 実は下水道ってほんとに大切な都市機能だけど、 当時は設置されていなかったのです。 これは日本だけではなく、ロンドンでもパリでも下水道はありませんでした。 ではどうしていたかというと、 ロンドンもパリも川にそのまま流してしまったり、 道に捨ててしまったりしていたんですね。 おかげで、当時のパリもロンドンもくさくてたまらないし、 不衛生ですから病気も蔓延してしまうという状況でした。 #当時、ベルサイユ宮殿のように夏の離宮が作られた大きな理由は、 この臭気だったといわれています。夏の間はいっそうひどい匂いなので、 別荘に逃げ込んで過ごしていたわけです。 そんな時、日本はどうだったかというと、 めっちゃ清潔だったそうです。 それは以前お話しましたように、人糞や人尿は大切な資源、 水に流すことはまく、肥だめに貯めておいて、それを商人が買い上げ、 郊外の農民が買い上げて肥料として使いました。 生ゴミもありません。生ゴミもすべて肥料に。 米のとぎ汁や顔を洗った水も貯めておいて肥料になりました。 魚市場で出た魚の骨ももちろん捨てません。これも肥料になります。 そんな風でしたから、くさるものも少なく、 当時100万人もの住人がいる世界最大の大都市だったのに、 臭気もなく、非常に衛生的な都市だったらしい。 この状況は江戸時代だけでなく、明治になっても続きました。 明治になって来日した欧米人の多くが、 江戸府内があまりに清潔であることに驚いたと日記に記しています。 「肥溜めから人糞を運ぶ壷はミルク壷のように清潔で美しかった」 だそうですよ(笑)。 このように振り返ってみていくと、 すごくはっきりしているのは、 江戸時代の人たちはものをとても大切にしていたということ。 最近「もったいない」をキーワードにして環境改善を行って ノーベル賞を取ったアフリカの女性がいますけど、 「もったいない」という発想は、やはり素晴らしいですね。 戦後、「捨てる技術」のように、いらないものは捨てなさい、 という風潮で、食べ物も衣類もそのときの欲望を最優先に手に入れ、 消費する。消費できなければ捨てればいい、 そういうふうな考え方で来てしまっていますよね。 いらないものは捨てる、じゃなくて、「いらなくなる物は買わない」、 という知性が必要なんでしょうね。 今うっかりほしいと思ってるけど、本当に必要なものなの? すぐいらなくなってしまうんじゃないの? そしてその内容は買うのに値する内容なの? と自分の中で検討し、考えられる力はまさに「知性」といえるでしょう。 そういう知性のある社会は、 人間もものも大切にする幸せな社会なんじゃないかなあと思います。
by ichimorimube
| 2007-12-23 14:25
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