2007年 09月 06日
ラブ!格闘技~というか古武術
相撲、といえば古武術ですよね。
古武術に触れないのは、私的にはありえないので。 今回は古武術について書いちゃおうかな~。 日本の相撲については、 最古の記録は日本書紀・11代垂仁天皇の御世(紀元前60年くらい?)、 大和国出身・當麻蹴速(たいまのけはや)と、 出雲国出身・野見宿禰(のみのすくね) の戦いで、この戦いに勝利した蹴速は、 相撲の始祖とされています。 垂仁天皇、って言うと実在しているのかどうか、 ちょっとあやしいですけど、一応日本書紀は公式記録、 ってことになってますので、まあありとしましょうね。 こう考えると、相撲は日本の古武術の中でも もっとも長い歴史を誇るといっていいでしょう。 一般的に、相撲は農耕民族が農業の神へ捧げる「神事」として 行われていたと考えられます。 そういう意味では正しく「芸能」の一つであるわけです。 サテ一方、相撲以外の古武術で最古の記録はいつくらいかと言うと、 それは関東の最古社、鹿島神宮に伝わる「鹿島の太刀」と 呼ばれる奥義を宮司だった国摩真人(くになずのまひと)が これに工夫を凝らし、「神妙剣」を創案したとされるそうですが、 この人が生きていた時代は大化の改新ごろだそうなので、 7世紀ぐらいの話ですか。 どうも、鹿島神宮やすぐ近くにある香取神宮と言うところは、 当時東北侵略の前哨地だったようで、 防人の訓練などで武術が発達していたと見えます。 この鹿島の武術が、日本中の武術の大元になっているとされています。 #余談ですが、鹿島神宮は中臣氏で、あの藤原氏と同族です。 奈良の東大寺のお隣にある、藤原氏の氏社・春日大社は、 この鹿島神宮を分霊したものと言われています。 平安時代「神宮」と呼ばれることが許されたのは「伊勢大神宮」と、 鹿島神宮、香取神宮のわずか三社だったことを考えると、 大和から遠く離れているにもかかわらず 不思議なほど重要視されていたことに気づきます。 面白いですねえ。 この鹿島の太刀は、香取神道流や鹿島神道流(成立・室町時代) などに受け継がれ、現代にその妙技を伝えています。 すごいですね、今もちゃんと伝わってるんですよ。 オソルベシ! さて、この流派流れで考えますと絶対はずせないのが 剣聖・「上泉伊勢守信綱(こういずみいせのかみのぶつな)」でしょう! *秀綱とも言います。 私の憧れの武術家ですよ~。うふ~。 池波正太郎さんの小説なんかでもあまりにも有名。 判りやすく言うと、新陰流の始祖であり、 柳生新陰流の流祖・柳生石舟齋宗厳 (やぎゅうせきしゅうさいむねよし)の師匠です。 ああ、かっちょいい。 (続く)
by ichimorimube
| 2007-09-06 01:44
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